30



「・・・」
私はヒロの腕の中で何も言えないでいた。
ヒロはあくまでもやさしく私に腕を回している。
もし私が振り払おうと思えば、すぐにでも離れることができる。
それくらいの力の入れ方だった。
こちらの気持ちなどお構いなしに抱きしめる圭介さんとは大違いだ。
そう思って、少し笑った。
・・・なんで今、圭介さんが出てくるだろう。
「なーんてな。はい、罰ゲーム終わり」
「え?」
しばらくの沈黙の後、ヒロは私から離れた。
「勝負に勝ったんだから。これくらいいいだろ?」
きょとんとしている私に、ヒロが笑いかける。
でも、私には彼が冗談を言っているようには聞こえなかった。
罪悪感のような気持ちが私の中に渦巻く。
ひどい顔になっていたのだろう。
私の顔を見たヒロがふぅと息を吐いて言った。
「分かってるよ。今まで好きで見てきたんだから。一美、あいつのこと好きなんだろ?」
「・・・ヒロ」
今日はやけにヒロの優しさが目にしみた。
じんわりと涙が出てくる。
「お、おい。なんで泣くんだよ」
おどおどとするヒロを見て、私は泣きながら笑った。
「ヒロ、ありがと」

                              ×××××

「おはよう、ゆっちゃん」
「おはよ」
翌日私はいつも通り大学へ行った。
廊下でゆっちゃんを発見し、声を掛ける。
彼女は妙に明るい私の顔を覗きこんだ。
「随分ご機嫌ね。ヒロと勝負するとか言ってたけど、勝ったの?」
「ううん、負けちゃった。・・・あ、噂をすればなんとやら」
私は前方から歩いてくるヒロの姿をとらえた。
それと同時に、彼のもとへ駈け出していた。
「ヒロー、おはよっ!今日もかっこいいね!」
突然声を掛けられたヒロはびっくりした様子だったが、すぐににっと歯を見せた。
「まあな。今頃気付いたのかよ」
彼の表情も何かすっきりしたように見えた。

「うん、そうみたい。でね、私が思うに、この猫耳カチューシャをつければもっと男前に・・・」
「なるわけねぇだろ!まだ持ってたのか」
「安心して、ヒロ。これは昨日とは違うの。リボンをつけることにより・・・」
「バージョンを増やすな!」

ゆっちゃんはギャーギャー騒ぐ私たちのやり取りを、今日は黙ってじっと見つめていた。
そんなゆっちゃんの様子を不思議に思ったヒロが声を掛けた。
「どうかしたのか、沢田」
すると、ゆっちゃんは真顔でヒロに近づきポンと彼の肩に手を置いた。
「ヒロ・・・大丈夫。女なんて星の数ほどいるわ」
「いきなり何言ってんだ」
「あんたなら、女だけじゃなくて、男も寄ってくる。美少年が好きな変態も。私が保証する」
「あえて言っとくが、全然嬉しくないぞ」

「あ、そうだ、ヒロ。昨日は負けちゃったけど、今度は絶対勝つからね」
私はふと思い出して言った。
「ああ、受けて立ってやる。沢田も来いよな」
予想外の言葉だったのか、ヒロを見てゆっちゃんは少し固まった。
ちょっと考える素振りを見せてから、口を開いた。
「そうね。たまには付き合ってあげるかな」
「やった。じゃあ、カラオケ8時間コースだね」
「・・・。まさかいつも二人でその時間?」

カラオケの話題で盛り上がっていると、私の携帯が鳴った。
「誰だろう?」
鞄の中から取り出して、画面を覗く。
それを見て、私は立ち止った。
そして、前を歩く二人に大きな声で言った。
「ゆっちゃん、ヒロ!先に行ってて!」
振りかえった二人は何となく電話の相手が誰なのか察したようで、軽く頷いた。
「分かった。また後でね」
笑顔で彼らの背中を見送る。
二人との距離が十分開いたところで、私は電話に出た。
「もしもし、花蓮さん?」
緊張で、上ずってしまいそうな声をどうにか抑えて言った。
『ああ、よかった。通じて』
「どうされたんですか?」
『それがね。圭介が変なのよ』
「・・・変?」
遠目だが、昨日は普通に見えたのに・・・。
『仕事は一応ちゃんとこなしてるんだけど、覇気がないというか・・・溜息ばっかりついてるのよ。
 特に昨日から・・・あ、ねぇ、昨日男の子と歩いていたの一美ちゃんよね?』
「・・・はい」
やはりあの時、花蓮さんはこちらに気付いていたのだ。
『そう。それで、”あれ、一美ちゃんじゃない?デート中かしら”って言ったら、一美ちゃんたちの
 方食い入るように見て・・・。もうそれからはずっと無口なの。 一美ちゃん、悪いんだけど、
 ちょっと来て元気づけてくれないかな?』
「元気づけるって・・・何をしたら・・・?」
『もう、来るだけでいいから!ね、お願い!』
正直、私が行っても変わらないだろう。
でも・・・
「分かりました。伺います。元気づけることはできないと思いますけど・・・」
私は携帯を握りしめ、前をきっと睨みつけた。

「私も圭介さんにお話ししたいことがあるので」
 







 

next back index novel home



inserted by FC2 system